Ｆａｔｅ／ｓｔａｙ ｎｉｇｈｔ − ショート・ショート・ストーリー
『衛宮士郎と遠坂凛のバカップル日記』 ２００４年６月分
【平成１６年６月２４日分】
《あくま、貞淑な新妻を演ずるのこと》
「よしっ、完璧！」
部屋の掃除は勿論、夕食も、お風呂も、そして……の準備も万端。
さあ、後はあの馬鹿が帰ってきてからが本番だ。
どうしても外せない用事が出来た時くらい、素直にわたしに当番を任せればいいのに、あのお人好し。
本当に申し訳なさそうにする士郎の顔を思い出して、改めて腹が立つ。
見てなさい！
あんたがそういう気なら、わたしにだって考えがあるわよ。
今日一日は、非の打ちどころのない新妻を演じてやるんだから！
時計が７時を回る。そろそろ士郎が帰ってくる頃だ。
玄関に先回りして、ちょっと痛いけれど正座をして士郎を待ち受ける。
いま着ているエプロンは白地にフリル付きで、ＰＩＹＯＫＯちゃんの文字が。
物の本によると、男の子は好きな女の子のエプロン“だけ”の姿に最高に欲情するということだけれど、流石にそれは羞恥心が許さないから却下。
そこまでしたら、士郎のことだからその場で鼻血を吹いて倒れちゃいそうだし。
門辺りに人の気配。
微かに繋がる魔力で確認すると、確かに士郎に間違いない。
玄関が開かれると同時に、わたしは三つ指をついて深々と頭を下げる。
「お帰りなさいませ、旦那様。
お夕食を先になさいますか？ お風呂を先になさいますか？ それとも……」
士郎の慌てふためく姿を想像しながら、思い切り猫撫で声で云ってやる。
「と、ととととととと遠坂っ!?」
予想取りの反応。うん、これは完全に硬直してるわね。
満面の笑顔で士郎を迎えてやろうと、頭を上げたわたしを待ち受けていたのは……
「こ、この女狐！ 如何な妖術で衛宮を誑かしおるかっ!?」
「へー、衛宮が亭主関白だったなんて、こいつは意外だね」
士郎の傍らで全身を震わす生徒会長の姿と、面白そうにわたしを眺めやる綾子の姿。
…………え〜〜〜っと、これって、どういう？
「衛宮、お前が今感じている感情は精神疾患の一種だ。直し方なら俺が知っている。俺に任せろ！」
「遠坂は女の子らしさに憧れてる所があると思ってたけど、まさかここまで徹底してるとはね」
「…………遠坂、俺、確か今日は一成と美綴が帰りに寄るかも、って云わなかったか？」
聞いてない、聞いてな……って、頭に来てたから、正直よく覚えてない。
云われてみると……確かにそんなことを云っていた気がしないでもないような。
「へぇー、じゃあ見せつけてくれるつもりだったんだ。ごちそうさま、遠坂」
……父さん、生まれて初めて――遠坂の家に生を受けたことを恨んでもいいですか？
「わー、なんで泣くんだよ、遠坂!? 今の格好はいつも以上に可愛いと思うぞ！」
この後は、羞恥のあまり泣きじゃくる凛を一晩中あやす士郎、という構図にどっとはらい。
【平成１６年６月１６日分】
《士郎、あくまの屋敷の家電製品を目撃するのこと》
「士郎、ちょっとクーラーの準備をしたいから手伝って」
そう云われて俺は遠坂邸へとやってきている。このところ、随分暑くなったからな。
・・・アレ？ 何度も遠坂の家には行ってるけど、クーラーなんかあったっけ？
「しゃあ、こっちだから、宜しく」
俺の顔を見るなり、遠坂は裏手の方へと俺を案内していく。
新しく買ったのか？ という推測は倉庫奥の埃まみれのそれを見て呆気なく覆される。
いや、新しいとか云々以前に・・・。
「・・・遠坂、これは一体なんなんだ？」
「なにって・・・これがクーラー以外の物に見えるの？ 士郎は」
遠坂は心底不思議そうに云う。
「・・・いや、今時のクーラーってのは、決してガラスと一体化してたり、巨大なファンが殆ど剥き出しで廻っていたりしないと思うんだが？」
俺の言葉に遠坂は目を白黒させる。本気で疑問に思っていないらしい。
「まだ動くんだからいいじゃない！ 使わなきゃ損だし、だいたい無駄なゴミは環境の敵でしょ？」
・・・いや、前半はもっともだけど、どう考えても禁止フロン出しまくりのシロモノだぞ、これ？
窓枠嵌め込み式クーラーは、信じがたいことに無事に稼働した。
日本の家電製品恐るべし・・・という以前に、フロンはどこから補給されてるんだ？
そう問いたい衝動を必死に抑える。
なんとなくだけど・・・答えを聴くのが怖かったからだ。
「テレビも出してくれる？ まだ映った筈だからあっちのわたしの部屋に置こうかと思って」
本格的にうちの離れは遠坂の部屋になっていくな。
いや、それはそれで嬉しいことなんだけど。
あった、あった。こちらも随分年代物みたいだな・・・って？
「遠坂、どうもテレビのリモコンが見当たらないんだが、別の所に置いてあるのか？」
「ないわよ」
「へっ？」
「うちのテレビにリモコンなんてないわよ。居間のテレビもそうでしょ？」
そーいえば、両方のテレビともチャンネルは回転式だ。
うわっ、よく見ればこのテレビ、足がある上に前面に観音開きの扉までついてるよ。
「なあ、遠坂。ちょっと炊飯器を見せて貰ってもいいか？」
不審げな表情を浮かべながらも、遠坂はあっさりと頷く。
「・・・ひょっとして、遠坂が朝は抜きか、食べてもパン食なのはこれのせいか？」
「うっ！ し、仕方ないじゃない！ わたしが朝弱いのは士郎も知ってるでしょ！」
「・・・いや、十分に遠坂の事情は理解した」
自動炊飯器は自動炊飯器でも、まさか今時スイッチ式の炊飯器が生き残っているとは。
このタイプだと、朝食の最低一時間以上前にはスイッチを入れないといけないだろう。
遠坂の朝の惨状を思い出すと、それは到底無理な相談ってものだ。
この屋敷の中にいると、三十年近くタイムスリップしたような気がしてくる。
遠坂が電子機器一般が苦手っていうのが否応なく理解できる場所だ、ここは。
それにしても・・・
「・・・ちょっと、士郎、なに笑ってるのよ？」
「いや、悪い悪い。なんでもない、なんでもないんだ」
笑ったつもりはないけど、どうも頬の筋肉が弛んでしまっていたみたいだ。
・・・そう、そんな屋敷の中にポツンと置かれた、最新型のパソコンを見つけてしまって。
「遠坂、いつもは教わってばかりだから、今度改めてパソコンを教えてやろうか？」
意味はないけど、どっとはらい。
【平成１６年６月１６日・２１日分等】
《あくま、士郎とともに海水浴に行くのこと−当日譚》
【あくま、寝惚け怒るのこと】
衛宮家の朝は早い。
まして今日は海水浴当日。
夏の太陽がまだ昇りきらぬうちから衛宮士郎の一日はスタートしていた。
マイクロバスは八時前に衛宮邸に、その三十分後には学園に到着することになっている。
その前に朝食を用意し、荷物の確認をし、車内でつまめる軽食まで準備しなければならない。
いや、それ以前に今朝の衛宮士郎には、最優先事項が存在するのであって・・・
「あ、先輩。おはようございます」
「!? ・・・あ、ああ、桜か。おはよう」
洗面所前で声を掛けられて、士郎は文字通りその場で飛び上がる。
「？ どうしたんですか、先輩？ なんだか顔色が悪いみたいですけれど？」
「い、いや、昨日は桜も泊まってたことを忘れてただけで他意はないんだ、他意は。
それより桜こそ、こんな朝早くからどうしたんだ？」
桜は少し顔を俯けて、恥ずかしげに云う。
「・・・いえ、昨晩は寝汗をかいたので、少しだけシャワーを借りられればと思って」
「♪‰∝∬∇◎▲＃☆!?」
「どうしたんですか、先輩？ 死体遺棄現場を目撃された殺人犯みたいに慌てて」
穏やかな笑顔のまま、恐ろしく物騒な喩えをする桜。
「・・・ス、スマン。ちょっとだけ後にして貰えるか？ 俺も随分悪い汗をかいたみたいで」
「クスクス、そうみたいですね。それじゃあ、私は後にしますから先輩は“ごゆっくり”」
桜が立ち去るのを確認するなり、士郎は風呂場の中にいる筈の少女に声を掛ける。
だが一向に返事は返ってこない。
二度、三度。間を取ってからもう一度。
・・・これ以上、一刻の猶予もない。
ガンドをぶち込まれるのを覚悟で、扉を開けた士郎が目撃したのは・・・
「おい、早くしないと桜が！ ・・・ってなんでまた寝てるんだよ、遠坂!?」
シャワーを浴びつつ、器用に立ちながら眠りこける遠坂凛の姿。
ぺしぺしぺしと士郎が軽く頬をはたくと、ようやく眠り姫が目を覚ます。
「？ し、・・・し、ろう？？？」
「寝てる場合じゃないだろ！ こんなところ桜に見られたらどうやったって言い訳を」
焦点の定まらぬ凛の視線が、まず“生まれたままの姿”の自分を確認する。
次いで士郎の瞳とぶつかるや・・・一瞬で普段の生彩に満ちた輝きを取り戻す。
「！」
士郎が回避行動に移るのと、ノーアクションでガンドがぶち込まれるのは全くの同時。
「朝っぱらから何しようとしてたのよ、この変態っ！」
「お、落ち着け！ 俺は遠坂がシャワーを浴びたいって云うから連れてきただけで！」
「お、覚えてるわよ！ だからってホントにお姫様だっこして連れてくるなんて！」
「なっ!? そ、それは遠坂がしてくれって云うからだろう!?」
「寝惚けてたのよ！ それにそもそも士郎が昨日頑張り過ぎるからいけないんじゃない！」
「仕方ないだろ！ 久しぶりだったんだし、それに遠坂だって昨晩はあんなに！」
「!!」
次の瞬間、ガンドの乱射による目映い光が士郎の網膜を覆い尽くした。
一方、先制攻撃を放った桜さんはと云えば・・・
「・・・姉さん。姉さんの天下も昨日限りだと知って下さい。
海は人を大胆にするんです！ 今日の私は昨日までの私じゃないんですから！」
必死に身をかわす士郎を影ながら観察しつつ、拳を握りしめて決意を固めるのだった。
【あくま、陣取り合戦に参戦するのこと】
刻限通りにバスはやってきた。
藤村組の関連会社のバスなお陰で、まずうちに来て貰えたのは有り難い。
時々忘れることがあるのだけど、藤ねぇは弓道部の顧問なわけで、車内で飲むジュースやら軽食、果てはビンゴの景品までと雑多な荷物を持ち込まなければならなかったからだ。
……もっともそれを実際に準備したのは藤ねぇではなく、俺だったりするのだが。
「おはようございます、今日は良いお日柄で大変結構なことで、大河お嬢さん」
「タイガーって呼ぶなー！」
イの一番に乗り込んだ藤ねぇが、顔見知りらしい運転手さん相手に早速吼えている。
「じゃあ、みんな適当に座ってね〜」
自分だけ左最前列の特等席を確保した藤ねぇが無責任に云う。
どこからどう見ても統率の教師ではなく、遠足ではしゃぐ小学生そのものだ。
「んじゃ、この辺に座るか」
弓道部員や皆のためのジュースやら軽食は、運転手さんの後席に置いてある。
後でそれを皆に配ることを考えて、俺がそのすぐ後ろに座った次の瞬間。
「｢｢隣、良いわよね(ですか)？! ｣｣」
異口同音に叫ぶと同時に、残された一席に三人が殺到してきた。
「｢｢………………………………！｣｣」
車内の空気が一瞬で凍り付く。
「……それでは私は遠慮しておきます」
流石は騎士王。いち早く状況を理解し、俺のすぐ後席へと戦略的撤退を図る。
だけど、そういった判断とは残りの二人は無縁だったりするわけで。
「桜…………？」
「遠坂先輩…………？」
見る者を魅了してやまない笑顔をたたえながら、二人は互いを見つめ合う。
「あの、え〜っと……？」
怖い、正直怖すぎる。
なまじ二人とも美少女なばかりに、その笑顔は最早悽愴とでも云うべきか。
「遠坂先輩は“お疲れ”でしょう？ ジュースを配るのとかは先輩と私がやりますから、遠坂先輩は最後列ででもゆっくりと休んでいて下さい」
……目の錯覚かな？ 桜の背後に黒いヒダヒダみたいなのが蠢いてる気がするのは。
「そういう訳にはいかないわ。わたしと衛宮くんの“二人だけ”は“特別に”参加させて貰っているんだもの。これくらいの事はさせて貰えないと悪いわ」
……これも幻覚だろう。遠坂の左腕が仄かに燐光を帯び始めている気がするのは。
「あのー、凛。それを云うなら私が一番部外者だと思うのですが………」
おずおずとセイバーが異議申立をするけれど、遠坂の視界にその姿は映っていない。
それは桜も同様のようで、二人は既に余人の入り込めぬ結界を作り上げているようだ。
「……それじゃ、悪いけれど二人に頼もうかな。俺、ちょっと疲れ気味だから後ろに」
気付かれぬよう、そっと移動しようとした俺の両肩に……二人の手が静かに置かれる。
「あら？ 今更何処に行こうって云うのかしら、士郎は？」
「クスクス、先輩。今更席替え希望だなんて小学生じゃないんですから駄目ですよ」
「……………………はい」
逃げ場のない袋小路で、笑顔のプレッシャーに押し潰されそうになりながら、俺はただ
頷くことしかできなかった。
【あくま、士郎を狙い撃つのこと】
学園で美綴綾子らの弓道部員を乗せたバスは、高速を海へとひた走る。
車内では定番のトランプやらカラオケやらが盛り上がっているが、ごく局所的には猛烈
な低気圧が発生しているのであって……
「……凛、気持ちはわかりますがそんなに殺気立たれると落ち着いて座っていられません。
それにジャンケンで負けたのでは仕方ないでしょう」
「う、うるさいわよ！ 別に殺気立ってなんか！」
そう云いながらも、凛の左腕は今度こそ明らかな燐光を放ち始めている。
（このままでは車内でガンドを撃ちかねませんね……）
マスターにとって最善の行動を取るのがサーヴァントとしての使命だ。
いざとなったら当て身を喰らわせてでも、とセイバーが物騒なことを考えている頃、
（―――せ、背筋が凍るようだ……）
その一つ前に座る士郎は、凛の殺気に当てられてガタガタ震えまくっていた。
「先輩、お茶でもどうですか？」
早出しが大好きな姉のお陰で、何をするまでもなく士郎の隣席を確保できて御満悦な桜は、バッグから魔法瓶を取り出して勧める。
「え、あ、ありが――――うっ!!」
目の前のソレは、匂いも、色も、お茶以外の何物でもない。
にもかかわらず、魔術師としての本能が士郎に“これはヤバイ”と告げていた。
―――これ、文字通りの“魔法”瓶なんじゃないかって。
いや、しかし、まさか桜がそんなことをするなんて……
「あー、今あまり喉乾いてないんだ。気持ちだけ受け取っておくよ、ありがとう桜」
笑顔を浮かべながら士郎がやんわりと断ると、桜は突然よよ、とその場に崩れ落ちる。
「桜？ な、なんでさ？」
「ど、どうして飲んで頂けないんですか!?
折角先輩のためにわたしが精魂を傾けて幾日もかけて作ったのに！」
ただのお茶を作るのに幾日、という段階で既にアヤシサ爆発なわけだが、そこはそれ、女の子には優しくせねばと骨の髄まで染み込んでいる衛宮士郎のことである。
「ご、ごめん、桜。じゃあ、一杯だけ貰うよ」
「ホントですか!? ええ、先輩のために“いろんな物”をブレンドした自信作なんですよ。
(ﾎﾞｿｯ)昨晩の先輩と遠坂先輩の姿を見て“溢れて来ちゃったもの”まで入ってますし」
「……あのー、桜？ いま何て？」
「いえ、なんでもありません。ささ、先輩どうぞ。
ええ、これさえ飲めばそんな“些細なこと”は気にならなくなるでしょうし」
「そ、そうか？ じゃあ」
そう云って口に運ぼうとした途端―――コップが粉微塵になって消し飛んだ。
士郎の手には痺れるような衝撃が残り、桜の注いだ“お茶”で僅かに濡れている。
「い、今のは？」
やっとそれだけ口を利いた士郎が、恐る恐る振り返った先にあったのは、
「どうかしましたか、シロウ？」
―――何事もなかったように澄まし顔で応えるセイバーと、安らかな笑顔で眠る凛の姿。
「ああ、凛のことならば何ら問題ありません。
昨晩の過剰な魔力供給で疲れていたようですから、今は寝かせておいてあげましょう。
それより桜、シロウも疲れているのです。
無理強いは如何なものかと思うのですが？」
「そ、そうですね、気が付きませんでした。すいません、先輩。
……ええ、旅は始まったばかりなんですから、焦る必要なんて何処にもないですものね」
「あのー、桜？ セイバー？」
蠱惑的な笑顔をたたえて微笑み合う二人を、士郎はただ見つめることしか出来なかった。
【で、下車直前にどうなったかと云えば・・・】
「凛、起きて下さい！ 凛！」
「ん……ふぁ……、セイバー……？」
「到着しましたよ」
「もう着いたの？
って、あれ……？ 私いつの間に寝ちゃったんだろ……」
「……昨晩の疲れが出たのでしょう」
「なんか、士郎にやばいことが起きそうな気がして……それで―――」
「…………車内は平和そのものでしたよ」
「……セイバー、私の目を見て話してくれるかしら？」
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