オリジナル小説「ジパング残照」

プロローグ－王宮

　豪奢な椅子に腰を掛けた美しく可憐な少女の前には、二人の対照的な男が畏まった態度で控えていた。
　一人はフランシスコ会の托鉢修道着を纏った大柄な神父。もう一人は金銀を用い、白地に花や鳥、そして獣の姿形を刺繍した華やかな衣を着た小柄な男。
　だが、衣服や体格の違いはささやかなものに過ぎなかった。彼ら二人の顔の色や造作、頭髪の異質さに比較すれば。
　少女は興味津々といった態で小柄な方の男にいくつかの質問を繰り出すのだが、残念ながら彼には彼女の言葉が理解できないらしい。神父が間に入って通訳をする。
四半刻ほども通訳を介してのもどかしい会話が続いた頃、少女の部屋のドアが遠慮がちにノックされた。オーク製の大きな扉を開けて入ってきた男は深々と一礼すると素早く神父の下に駆け寄り、その耳元で何事かを囁く。
　男からの伝言を聞き終えると、神父は少女の方へ向き直り、詫びを述べる。「申し訳ありません。国王陛下からの火急のお呼び出しのようです。残念ですが、今日のところはこの辺で失礼させて頂きます。さあ、ハセクラ殿。退席するぞ」
　神父は最後に、傍らの小柄な男に異国の言葉で呼びかけた。
　だが少女は、その場の雰囲気で神父の言葉の意味を即座に悟ったようだ。
「良いのです。国王陛下が呼ばれたのはそなただけなのでしょう？わたくしはこの者の衣装や装身具にも興味がある故、もっと間近で見とうなった。じゃから、この後は通訳無用。そなたは早く国王陛下の所に参るがよい」
　神父は少女の言葉に何故か一瞬顔を歪めたが、相手の地位を思い起こし、即座に態度を改める。
「分かりました。では陛下の御用が済み次第戻ってくることにいたしましょう。ハセクラ殿、呉々も失礼のなきようにな。それでは失礼させて頂きます」
　神父がそそくさと退出すると、その部屋をしばしの奇妙な沈黙が覆った。
　如何なる会話においても、その端々に異常ともいえるほどの神への礼賛を唱える神父の熱情。それに圧倒されていた少女以外の部屋の中の人々の視線もようやく遥々地球の裏側から来たという男へと向かった。
身長に対して顔が大きすぎた。肌の色は蒼ざめ、目は小さく窪み、額は広く、顎髭はない。頬の僅かな毛以外には、後頭部に白い絹裂れで尾のように捲いた髪があるだけだ。
　値踏みをするような、珍しい見せ物を観察するかのような人々の視線を一身に浴びても「ハセクラ殿」と呼ばれた小男は物おじするそぶりすら見せず、巌のようにそこに佇んでいる。その姿を一人満足げに頷いた　少女は、傍らに控えていた初老の男に一言だけ呼びかけた。
「アルタミラ伯」
　彼女のことを生まれる以前から知っている侍従長にはそれだけで十分だった。
　彼は一礼だけして返すと、そのまま部屋にいる者全員に目配せで退出を命ずる。全員が退出するのを確認すると、再び一礼してドアを静かに閉じ、彼自身もその場を後にする。

　部屋に残されたのは、少女と地球の裏側から来た男のみ。
「さて、使節殿。スペイン語が分からぬフリをするのはそれくらいにされるがよい」
男は少女の問いかけになおも無言を保つ。だが、少女は可憐な顔に悪戯っ子のような笑みを浮かべて更に彼に語りかけた。
「実を申すとな、ソテーロ神父の通訳には信がおけぬと分かったのでな、わたくしが父上にお頼みして、かの者を遠ざけてもろおたのじゃ。使節殿は御自分でお気づきかな？　神父が勝手な通訳を始めるとそなたは少しだけ悲しそうにして視線を下げるということを？」
　少女は鈴の音が転がるような美しい声でそう指摘する。
　次の瞬間、男はスペイン王宮においても優雅と称されるであろう程の恭しさで、彼女の椅子の前に跪いた。
「……御慧眼、お見それいたしました。流石は大スペイン国の王女様。貴女様ほど美しく聡明な方にお会いすることができ、感激至極にございます」
　更に二度跪いたあと進み出た男は少女の手に接吻した。それに答えるように少女は帽子を脱ぎ、男に向かって頭を下げる。少女のその仕草には生まれながらにして王族たるべき義務を背負った者だけが持つ高貴さが漂っていた。
　しかし目の前の少女に圧倒されつつも、男は彼に与えられた使命を忘れてはいなかった。
「王女様、大変失礼かと存じますが、私がスペイン語を解することはついては内密にお願いいたします。我が王《ダテマサムネ様》、そして次代の王《カルサ様》からの命でソテーロ神父に対してはこの件について絶対に秘匿するよう申しつかっておりますので」
　少女は暫し面白そうに男を観察していたが、すぐに結論を下した。
「何か訳があるようじゃが……答えたくなくばそれは敢えて訊くまい。さあ、立たれるがよい。そんな些細なことより、そなたの国のことについてそなた自身の言葉でもっと聞かせて下され。
　そう、その偽りの仮面を脱ぎ捨て、そなたの本来の姿と声でな」
　王女の核心を突いたその言葉に……男は更に深々と頭を下げた。

　時に一六一五年一月三〇日。スペイン王宮の一室での出来事である。
　少女の名をアンヌ・ドートリッシュという。当時一四歳。
　丁度この年、彼女の婚約が発表されている。婚約者の名をルイ一三世という。
　後にこの二人の間に生まれることになるのが太陽王ルイ一四世だ。そして彼女自身も太陽王が幼い間フランス国の摂政として権勢を振い、当時ヨーロッパの片田舎に過ぎなかったこの国を一躍ヨーロッパ列強入りさせる。
　しかし、この時の二人の邂逅が歴史的意味を持つのは二〇〇年以上先のこととなる……。

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