空の境界ＳＳ−「耳目之欲」
反撃。そう、反撃だ。
このところ毎日、私、黒桐鮮花は呪詛のようにその言葉を唱え続けている。
今の幹也には両儀式しか見えていないことは、先日の事件で否応なく思い知らされた。
五体満足な身体を犠牲にしても守るべき者。全てを等価値に見つめることのできる幹也にとって、この世で唯一特別の存在。
それは決して両儀式がいてもいいところじゃない。
そこは・・・私が収まるべき場所だ。
病院のベットに横たわる幹也の痛々しい姿を見た瞬間、当然の如く式に殺意を覚えてしまったけれど、少しだけ冷静になって考えてみればそれで何ら問題が解決する訳ではない。
・・・しかも、今の私の実力であの凶暴女に正攻法で叶うとは思えない。
という訳で、幹也に対する新たなアプローチを試みることにした。
大丈夫、幹也のことなら、あの凶暴馬鹿女なんかよりも遙かによく知っている。
「はい、兄さん。これ、私からのプレゼントです」
「なんだい、これ？」
退院の日、それを差し出した私に、幹也はいつもの間の抜けた顔で答えてくれる。
「なにって、兄さん・・・ひょっとして携帯電話の存在も知らないんじゃないでしょうね？」
「・・・いや、それは当然知っているけれど、どうしてこんなものを？」
よし、上手く餌に喰らいついてきた。後は釣り上げるだけ。
「兄さんに、これ以上あの女に関わって面倒事に巻き込まれるな、って云っても無駄でしょう？ 勿論私としては許せないけれど、云って聴く兄さんじゃないから。
ただ何かあったときには、私に連絡して欲しいんです。兄さんが携帯を好きじゃないのは知っています。
でも未熟ながらも私だって魔術師の端くれです。もしもの時があったときには、きっと兄さんの力になって見せます。そのための絆としてこの携帯を兄さんに持っていて貰いたいんです。
今回みたいに兄さんが私の知らないところで大怪我をして、そして・・・なんて考えるだけでも、私の心は張り裂けてしまいそうなんです。だからお願いします、どうか受け取って下さい、兄さん」
私の嗚咽混じりの言葉に幹也は目に見えておたおたする。当然だ。幼稚な論理だけれど、幹也はこの手の論法には滅法弱い。
それに・・・今の言葉だけは演技でも何でもないんだから。
「分かったよ、じゃあ有り難く頂くけれど、当然通話料は僕が払うから、その手配だけはさせて貰うからね」
「はい、有り難うございます、兄さん。絶対にその携帯、肌身離さず持っていて下さいね、お守り替わりも兼ねているんですから」
「どうしたんだ、幹也、それ？」
電源を入れると、いきなりバカ式の声が流れ出す。
周囲の物音がしないことからして、どうやらもう幹也のマンションに戻ってきているみたいだ。
「ああ、鮮花が持たせてくれた、お守り兼猫の鈴みたいなものかな」
「ふーん、鮮花には本当に弱いんだな、幹也は」
式の声に棘が混じる。幹也の慌てぶりが目に見えて想像できてしまって、私の不機嫌さはいや増す。
それになんだ！ その「猫の鈴」ってのは!?
「いや、今回はアイツにも随分心配を掛けたし、やっぱり兄としては妹のそれくらいの頼みを聞いてやらないわけには・・・」
「なるほど、妹のためなら幹也は自分の主義まで変えるってわけか」
幹也にしろ、式にしろ、電話で話すのは好きじゃない人種だ。実は私もその類だけれど、背に腹はかえられない。
橙子師の悪魔の囁き（比喩じゃないところが弟子ながら怖いんだけれど）にを身を委ねるしか私には選択の余地がなかったのだ。
「イヤ、違うんだ、式。別にいままでだって主義や主張で携帯を持たなかったわけじゃないし・・・」
「オレ、電話は元々嫌いだけれど、携帯ってヤツはもっと嫌いだ。まるで四六時中監視されているみたいで気持ち悪いじゃないか」
式の言葉に、反射的に私は身を堅くする。
そう、私が幹也に渡したのはまるっきりその通りの代物だったからだ。この奇術の種は、通常の携帯の中にもう一つ携帯を組み込み、それを常時通話状態にしておくというまるっきりの反則技だ。
勿論真っ当なルートで手に入れた代物ではない。幹也の監視手段を橙子師に相談したところ、紹介された絡操使いって人が組み上げた逸品だ。外見はまるっきり普通の携帯にしか見えない。
しかし私が手にしている受信機はＧＰＳ機能付きで、オマケに通話料も不要という便利この上ない製品に仕上がっている。
どうも師には師なりの思惑があるみたいだけれど、この際それは目を瞑るしかない。そもそも師に弟子入りした時点で常識は質屋に預けてしまっている。
私が固まっている間にも、なにやら幹也は言い訳していたみたいだけれど、式は「まあいいや」とあっさりと矛を収める。
けれど、続いてとんでもないことを抜かしてくれる。
「おい、そんなことより今度の日曜、どこかに連れていってくれ」
バカ式め、調子に乗って。
大体それ以前に・・・怪我人に何をさせるんだ!?
「うん、それはいいけれど、どこに行きたいの？ ショッピングにでも行ってからアーネンエルベにでも行く？」
「怪我人の幹也をそんなところに連れ出したりはしないぜ。そうだな、お前の怪我の治療を兼ねて温泉なんてどうだ？ 近場でいいから」
式の投げつけた爆弾で私の心臓は一瞬その機能を停止する。
辛うじて再開した脈動を感じながら、私は当初の計画をまるっきり変更せざるを得ないことを確信した。
もう一刻の猶予もないんだって。
流石は幹也だ。こんな近場にこんな雰囲気のある温泉宿があるなんて全然知らなかった。まさに人目を忍ぶ隠れ宿だ。
こんなところで幹也と二人っきりになれたら・・・という私の甘い夢想は容赦なくズタズタにされる。
「・・・綺麗な夕焼けだな」
「そうだろ？ まだ式が・・・眠っている頃、一人で旅行していた時に偶然見つけてね。いつかこの夕焼けを君にも見せたい思っていたんだ」
受信機からはまるっきり恋人同士のような会話が流れてくる。
二つ隣の部屋でその声を聴きながら無言で、私は右手に師から授けられた茶色の革製の手袋を填める。拳を握りしめ、火蜥蜴の皮を手に馴染ませる。
「何時までもそんな所で風に当たっていると、湯冷めするよ、式」
幹也の労るような声と共に、衣擦れのような音が聞こえる。
一瞬暴発しかけたけれど、どうやら幹也があの女に上着を被せてやったようだ。
私の忍耐の堤防は決壊寸前まで追いつめられる。
普段は野暮ったいクセに、どうしてこんな所だけは気障ったらしいんだ、あの男は！
「それじゃあ、そろそろ・・・始めようか」
「ああ、いいぜ」
「今夜はお互い・・・じっくり味わおう」
その二人の言葉が私の思考回路を完全に切断した。
・・・イマコノフタリハナンテイッタ？
「ちょっと待ってくれ。明るいところじゃ雰囲気でないから電気を消してくれ」
「珍しいね、式が雰囲気だなんて」
幹也の朴念仁が本当に意外そうに云うけれど、もう私の脳は思考することを放棄している。
「でもそうだね、今日は満月だ。月明かりの中って云うのも乙だね」
電気が消される音。
そして続いて聞こえた来たのは二人の唇から漏れるしきりに何かに吸い付くような音。
全身の血を炎のように滾らせ、私は後先も考えずに部屋の中に踏み込んだ。
「な、なっ!? 鮮花？」
宿の襖をぶち破って部屋に乱入した私を、幹也は鳩が豆鉄砲喰らったような顔で迎えてくれた。
「兄さん・・・一体何を？」
言葉だけは疑問型だけれど、私は瞬時に自分がハメられたことを悟った。
・・・行儀良く机に向かい合った二人の間には、蟹の大量に入った桶がどんと置かれている。
「ほらよ、鮮花」
幹也に渡した携帯電話型盗聴器を、蟹の足を頬張りながら式が放る。
「式！ あんた、最初から気付いて!?」
それっきり絶句してしまった私に、式は酷く人の悪い笑みを浮かべて云い放つ。
「お前さんが幹也に渡した携帯、裏の機能だけは殺させて貰ったぜ。しかしお前らしくもないことを。どうせ橙子に唆されたんだろうけれど」
腰を上げた式は、未だに状況に付いていけず戸惑う幹也を無視し、立ち竦む私の所までやってくると、耳元で囁く。
「悪いけれど、幹也はオレのものだ。コイツが欲しければいつものように正々堂々とくるんだな。ま、渡すつもりはさらさらないけど」
その式の身も蓋もない言葉で、ようやく私は冷静さを取り戻せたんだと思う。大きく溜息を吐き出す。
「・・・そうね、今回ばかりはアンタの云うとおりね。今日は出直すわ」
確かに式の云うとおりだ。幹也をこの女の手から奪うんなら、正々堂々とだ。
「おい、鮮花！ 何がどうなってるんだ!?」
幹也の呼びかけを背中に聴きながら、私はその宿を後にした。・・・だから、それに気付いたのは橙子師に指摘されてからだ。
「それであの二人、お前が帰った後どうしたんだ？」
空の境界ＳＳ第二弾は鮮花メインの、ストーカーもどきもの(笑)になってしまいました;。うーん、最初の予定ではもう少しまっとうな恋愛モノになる予定だったのに(＾＾;。「らっきょ」ではやっぱり式が一番お気に入りなんですけれど、鮮花も結構好きなんで、この二人の絡みのＳＳ、また書いてみたいですね。
ちなみに、今回も実は元ネタがあってタイトルもそのまんまなんですが・・・分かった方はよっぽどの喜久子さんファンでしょう(笑)。
戻る