「カレイドステッキと正義の味方」
激しい音とともに閉じられる扉。
「――――はあっ」
すっかり通い慣れた遠坂邸の居間で、俺は大きな溜息を吐き出す。
軽い自己嫌悪と同時に、心の片隅に、本当に僅かばかり遠坂への反発の気持が混じる。
勿論、遠坂にはいくら感謝したってし足りない。
俺が遠坂からこれまで受けた恩。
一分一秒ごとに利息を付け雪ダルマ式に膨れあがっていくそれを返そうと思ったら、一生涯かけたって足りないだろう。
だけど、それでも俺には、遠坂にだって譲れない一線があるわけで――――
「ふふふふふふ、凛さんの扱いには流石に苦労されているようですね、士郎さん」
「なっ!?」
背後から放たれる放射能ばりに毒々しい魔力の渦。
猛烈なイヤな予感が背中を駆け抜ける。
極彩色の悪夢の具現化に怯えつつも、振り返った俺を待ち受けていたのは―――けばけばしい原色の杖。
虚空に浮かんだそれは、柄頭に星の紋章を頂き、その両翼には白い翼を生やしている。
今時日曜朝８時３０分のアニメでも見かけないようなその姿は、見まごう事なき悪夢のリリカルアイテム！
「オマエ！ なんでっ!?」
あの悪夢のような数時間(外部時間では三日)が蘇り、俺は絶句する。
「オマエとは随分な云い方ですね。士郎さんはもっと紳士的な方だと思っていましたのに」
天上天下唯我独尊！ この世の全ては私の楽しみの為だけに存在するのよ！
なんて断言しそうな声が、頭の中に直接響きわたる。
コイツ、遠坂のあの病的なまでに念入りに張った結界を破ってどうやって!?
「私をなんだと思っているのです？
カレイドスコープ、魔道元帥ゼルレッチが到達した第二魔法の生み出した魔術礼装！
契約者に莫大な魔力を供給し、多元世界への干渉さえ可能とする奇跡のアイテム。
カレイドステッキの代弁者たる人工天然精霊、マジカルルビーちゃんですよ！」
禍々しいとしか称しようのない光を吐き出しながら、俺の目前に現れたのは多元変身アイテム、カレイドステッキ。
最近ようやく宝石翁のあの宝箱の中での出来事を悪夢だと思いこめるようになった――というわけは決してないけれど、学園で遠坂が後ろ指を指されることが少なくなってきたというのに！
……ああ、あの後の遠坂をフォローするのは流石に大変だったものな。
だけどコイツ、あの時『以後は、私がこのように現れるコトもありません』って!?
「ええ、確かにあの時はそう宣言いたしました」
重々しく、一つ頷くようにしてから。
「ですが、同時に申し上げた筈です。
『あとはカレイドステッキとして、お二人の活躍を肴にさせていただきます。』と。
それなのに、なんですか、士郎さん！
貴方という誰よりも立派な正義の味方なマスコットキャラが付いていながら、この体たらくは！
ルビーちゃん、本当に幻滅ですよ！」
俺の目の前でチッチッチッと、やたらテンガロンハットが似合うどこぞの怪傑ヒーローのように、指の代わりにステッキを左右に振るマジカルルビー。
―――や、もう突っ込む気力さえ湧かないわけだけど。
「契約さえしてしまえば、凛さんも諦めてこのカレイドステッキの力を使ってくれるだろうと。
口ではイヤよイヤよと云いつつも、ヘッヘッヘッ、身体の方は正直のようだぜ、なんて反応をしてくれるだろうと。
ルビーちゃん、そう信じて大人しくステッキの中で観戦を決め込むつもりでしたのに……」
今度はよよよと、泣き崩れるように告げたかと思うと一転。
「あなた方はこのステッキに託された使命を忘れたのですか！
愛と正義とお笑いを、遍く世界に振りまく伝道師としてあなた方は選ばれたのですよ。
さあ、凛さんの意志なんて無視して、カレイドビームを浴びせ、正義のために変身です！
面白おかしな衣装に身を包み、ネコミミ尻尾なんてスタイルに全身を羞恥心で苛まれながら、悪の秘密結社虎ッカーに乗っ取られた幼稚園バスを取り戻すのです!!」
「―――――――――」
―――コイツとの間にコミュニーションを成立させることは、ヘッポコ魔術師である俺が魔法に到達するより困難なことは明白なので、俺は無言で次の行動へと移る。
かつて“王の財宝”で垣間見た剣のうち、このイカレたステッキを速やかに沈黙させうるものを検索し、設計図を最速で組み立てる。
悪即斬は俺の主義に反するけれど、コイツと遠坂を再び対面させた結果起こるであろう、致命的な大破局を防ぐ為にはこの方法以外、致し方あるまい。
僅かながらも……アイツ(アーチャー)の苦悩を垣間見せられた気分だ。
「投影、――――」
「わーーー！ わーーー！、落ち着いて下さい、士郎さん。
話し合いましょう。話せば分かります。話して分からないことなど、この世に何一つないのですよ！」
世界で一番話し合いが成立しそうにないステッキが、俺の足下にすがりつくようにして必死に云う。
放っておくと土下座までしそうな声で(あくまで雰囲気だけど)そう云われると、俺も大きな溜息を吐き出しながら、脳裏の設計図を放棄せざるを得ない。
声だけは、破滅的に可愛らしい少女そのものなのだ。云ってることも破滅的だけど。
「――――はあ、仕方ないですね、分かりました。
残念ですけれど、凛さんに愛と正義の魔法少女として、この町の平和を守って貰うことは諦めます、とりあえず」
とりあえず、ってところは猛烈に気にかかるけれど、コイツに絶対の誓約をさせたって無意味なのは学習済みだから、ひとまずこの辺りで妥協する。
やれやれ。
大きな荷物をようやく背中から下ろした気分になって、さて何処にこの呪いのステッキを封印しようかと考えていると。
「ですけれどもね、士郎さん――――」
ニヤリと。
アクマにも似た、蠱惑的な声が俺の心の闇に忍び寄る。
「もう少しお淑やかで、包容力のあるタイプの凛さんを、一度くらいは見たくありませんか？」
「―――――――――――――――！」
「勿論、士郎さんが今のあの、凛さんにベタ惚れなのは承知しております。
坂の上の大きな洋館に住むお嬢様にして、これでもかっていうぐらいの優等生。美人で成績優秀、運動神経も抜群で欠点知らず。性格は理知的で礼儀正しく、美人だという事を鼻にかけない、まさに男の理想そのもの。そんなところから、ついたあだ名は、ミス・パーフェクト！
ですが、優等生なのはあくまで擬態だって思い知らされて、だっていうのに一段と惹かれちまった赤いあくまで、近くにいるだけで動悸が止まんないっていう俺が、なんだってそんなことに―――」
「!? 人のモノローグ勝手に引用するんじゃねえ、このバカステッキっ！」
反射的にカレイドステッキを捕らえようとした俺の手は、虚しく虚空を切る。
エッチシーン目前のモノローグを人前(？)で読み上げられるのは、真夜中に書いたラブレターを陽が昇ってから読み直す以上の羞恥プレイに他ならない。
「ふふふふふふ、まだまだ私に対する認識が甘いようですね、士郎さん。
なんでしたら、凛さんに奉仕することを喜びとする士郎さんと、士郎さんに奉仕されることを当然として受け止める凛さんのいる世界での、お二人の関係をここで赤裸々に語ってもいいのですよ？」
『こ、この悪魔めっ！』
心の中で毒づくけれど、なんだかあまり今と変わらない気がするのは……気のせいだろうか？
「……コホン、話が逸れました。ともあれ満漢全席も結構ですけれど、時には極上の京懐石に舌鼓を打ちたいとは思いませんか？
今日もまた士郎さん――凛さんと喧嘩してしまったんでしょう？」
「――――――」
悔しいがコイツの前では、隠しごとは無意味らしい。
確かに今日も今日とて、ちょっとしたことから口論となり、派手な言い争いへと発展。
怒りにうち震えた遠坂が、最後にきっと強い一瞥をくれて派手に扉を締めて出て行った、というのが偽らざる現状。
頻繁に、とまでは云われないけれど、俺と遠坂は定期的にそんな喧嘩を繰り返している。
勿論、その原因は専ら俺の行動によるものだし、遠坂が誰よりも俺のことを思ってくれるからこそ、真剣に怒ってくれるのだってことは、痛いくらい分かっている。
それでも俺には遠坂の云うことの全てを受け入れる訳はいかない。
遠坂が遠坂家の魔術師として譲れない一線があるのと同じように、俺にだって正義の味方として決して譲れない部分がある。
そう。
いつかアイツの背中に追いつき、そしてあの時の答えが決して誤りなんかじゃなかったことを証明する為に。
「……まったく。凛さんにも本当に困ったものです」
マジカルなステッキは、近所の世話焼き大好き小母さんがするような大仰な溜息をついてから。
「幼い頃から自分の気持ちに素直になれないお嬢さんでしたけれど、暫く見ないうちにそれに輪が掛かっちゃって。
こんなにも士郎さんのことが好きで好きで仕方がないというのに、それを士郎さんの前では素直に言い出せないんですもの」
「……なっ!?」
さりげない爆弾発言に、俺の顔の表面温度は一気に上昇してしまう。
「いま流行のツンデレ、というのですか？ うーん、凛さんの場合、ツンにせよ、デレにせよ、どうも一般的なそれとは違いますので、そのような表現が正確であるかは議論の余地のある所ですけれどね。
いずれにせよ、そんな凛さんのお陰で、鈍感な意中の男性に対して素直になれないスーパーオトメ力を、私を起動させる為のエネルギーを頂戴することが出来たのですけれども」
コイツが再復活した理由はそれか!?
いつものことだけれど、遠坂。迂闊すぎるぞ。
「勿論、ルビーちゃんは忘恩の徒などではありません！
契約主からエネルギーを頂いた以上、その恩に報いるのが人の道、いえ、カレイドステッキの道！」
……いや、間違っても事態を悪化させることしかしないアンタの恩なんて返して欲しくないから。
「ルビーちゃん思いますには、凛さんは意中の男の子の前で『どうやったら素直になれるのか分からない』のですよ。
こういう時はまず何処から改めれば良いかご存じですか？ それは形！ まず形から入るべきなのです！ 恋する乙女は恋する乙女に相応しいコスチュームと性格を備えているべきなのです！
その為の多元転身（プリズムトランス）能力ならば、ほら、ルビーちゃんの掌の中に！ 士郎さんはただルビーちゃんの言葉に頷きさえしてくれればいいんです」
メフィストフェレスにしては、あまりにも陽気すぎるアクマの誘惑は、更にヒートアップしていく。
「士郎さんが頷いてさえ頂ければ、次の瞬間、何処までも（身勝手で、現実知らずの男の夢想の中だけでしか存在しない）完璧な大和撫子な凛さんが登場してくれるんですよ？
旦那様の常に三歩後ろを歩き、どんな時でも優しく母性に溢れ、（旦那様が一つ屋根の下に沢山の女の子を侍らせても決して怒らないなんてあり得る筈もありませんが）包容力があり、楚々とした中に匂い立つような色気を醸し出す凛さん。
襟足を揃えても尚、はらりと一房垂れた後れ毛が真っ白なうなじにかかり、僅かに乱れた裾の下からは、真白く磨き上げたような小さな素足が見える凛さん。
そんな正統派大和撫子な凛さんも見たいとは思わないのですか？
ルビーちゃんは見たい！ 是非見たい！ 古女房を質に出しても見たい！
無論、凛さんの意志などはお構いなしに、是が非でも見てみたいのです！」
鼻血でも吹き出しそうな勢いで、カレイドステッキが妄想を迸らせる。
――――あー、その、なんだ。
その狂乱っぷりで、このラテンなメフィストフェレスの誘惑を完全に断ち切ることが出来た。
「――――悪いが、その誘いには乗れない」
「ど、どうしてです!? 確かに士郎さんは、人に奉仕することを喜びとする方であることは知っていましたけれど、凛さんの理不尽極まりない暴力まで甘受……いや、喜びをもって受け止めるヘンタイさんだったなんて！
ルビーちゃん、愕然ですよ！」
相変わらずルビーは天下無敵の言いたい放題だけれど、俺は意外と冷静な気持ちのまま淡々と、思っているところをそのまま告げる。
「ああ、そうだな。最近の遠坂はちょっとばかし手が早すぎかもしれない。お前のお陰で随分評判が下がったとはいえ、今でも学園ナンバー１の優等生だって云うのにな。
だけど『常に優雅たれ』って家訓をあれほど大事にしている遠坂が、俺にだけはそんな家訓も関係なしに“そのままの遠坂凛”のままでいてくれるのは、きっと意味があることなんだって。何の容赦もなく、俺に拳を振ってくるのは、普段決して弱みを見せようとしない遠坂の、精一杯の“甘え”なんだって。
自惚れが過ぎるのかも知れないけど、俺はそう思ってるし、そんな遠坂をそのまま受け止めてやりたいと思ってる。勿論、それが一筋縄ではいかないことは覚悟の上だけどさ」
遠坂本人の前では決して云えないことを、俺はきっぱりと云いきる。
それでも更に畳みかけてくるかと思いきや、意外や意外、饒舌のステッキは嘆息するようにして、意外なことを云ってくる。
「――――はあ、凛さんのことならば、幼い頃から見守ってきたこのわたしが一番知っていると思ったのに。その役目まで士郎さんに取られちゃいましたか。本当にあてられちゃいますねー。
そこまで臆面もなく云われちゃ、ルビーちゃんの出番がないじゃないですか」
しみじみと、何処か寂しげな気配さえ漂わせながら、ルビーはしおらしげに呟くように云う。
……もしかして、こいつ、ホントにホントはいいヤツだったのか？ と思ったのも一転。
「ですけれどもね、士郎さん――――」
ニヤリと。
今度こそアクマそのものの、蠱惑的な声が俺の心の闇に忍び寄る。
「もう一回り胸の大きな凛さんと、懇ろなことをしたいと思ったことはありませんか？」
「――――――――――――！」
「ふっふっふっふっ、即座に否定できませんでしたね、士郎さん。
片意地張らないで、もっと素直になりましょうよー。ほらほら、愛情と肉欲は別腹だってよく云うじゃありませんかー」
云わない云わない！ そんなことを云っているのはお前だけだ！
だいたい遠坂の胸になんの文句があるって云うんだよ。
あんなにもカタチが綺麗で、陶器みたいにすべすべしていて、そのー、なんだ。大きすぎず、小さすぎず、丁度俺の掌にすっぽり収まるところなんて、可愛らしいじゃないか。
そう全面的に反論したいところだけれど、アクマの誘いを即座に否定できなかった自分の情けなさと遠坂に対する後ろめたさからか、咄嗟に言葉が出て来ない。
大体だな、遠坂のが小さく見えるのは、あくまでも桜との相対的評価であってだな、決して「遠坂のがもう少しだけ大きかったら、あんなことや、こんなことまで」なんてこれっぽっちも―――
背筋がキンという音ともに、凍りつく。
恐ろしいまでの気配が俺の背後で立ち上る。
手の震えは、あっという間に全身に浸食していく。
頭の中は白く、白く、虚無の白に塗り潰されていく。
振り返ってはならない。
ホラー映画と一緒で、振り返ったら、その時が最期の時だ。
だけど、たとえ振り返らなくても、俺に待ちかまえている運命は微動だにしないわけで―――
「…………へえー、衛宮くんってば、その馬鹿ステッキと随分意気投合してるみたいね」
機械人形のようなぎこちなさで振り返った先にいたのは、極上の笑みを浮かべる遠坂凛その人。
手にしたティーカップそのものは微動だにしていないのに、そこに淹れられた紅茶の表面には何故か派手なさざ波が立っている。
「…………遠坂、一体いつから？」
地獄の底に一本だけ垂らされた蜘蛛の糸のような救い。
そんな極小の可能性に縋るけれど、現実ってヤツは何処までも容赦が無くって―――
「いつから？ いつからって
『もう一回り胸の大きな凛さんと、懇ろなことをしたいと思ったことはありませんか？』
ってところからよ。
それともなに？ 衛宮くんはもっと前から聞いていて欲しかったの？」
にっこりと、凄絶としか表現のしようのない笑顔を浮かべ遠坂が云う。
コップのさざ波は、既に波浪警報発令レベルに到達していた。
「まて、遠坂！ 話せば分かる。おい、ルビー。お前も少しは―――」
『残念です、士郎さん。今回はここでエネルギー切れのようです。
よよよよよよっ、悲しいです。士郎さんさえ、もう少し早く自分の気持ちに素直に頷いてさえいれば、かかる悲劇を回避できたものを。
それでは御武運を祈ります、士郎さん。
大丈夫ですよ。いくら 凛さんだって、愛しの士郎さんの、息の根を止めるまでは折檻したりしないでしょうから……多分』
云いたいことだけ言い残し、コテンと電池が切れたオモチャのように、その場で倒れるカレイドステッキ。
後に残された俺は、馬鹿みたいに突っ立っていることしか出来なくて―――
「……そうね、暴力に訴えるなんて遠坂家の家訓に反するわね。
じゃあ、じっくりこの件について話し合いましょうか、衛宮くん。
朝までじっくりと、身体中の油が枯渇するくらい、こってりと絞って上げるから」
本物のあくまな笑顔を浮かべる遠坂に、為す術もなく、連行される羽目になった。
――ぼんやりと、遠坂とあの馬鹿ステッキ、そのどちらが真正のあくまかを考えながら。
(終わり)
……久しぶりのＳＳがお馬鹿で御免なさい御免なさい御免なさいm(＿)m。
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